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児童ポルノの被害者と会いました。

 本日は撮影。相手の女性はレズ寄りのバイセクシャル。つまり、広義の意味でネコ(性的に受け身)です。そこで、前の日記でも書いた、「レズのタチ(性的な攻め役)は男性と競合関係になりやすい」という話を振ってみると、彼女はそもそも男性化願望のある女性とは付き合わないとのこと。ぶっちゃけ、男装した女性と付き合うよりは、女装した男性と付き合いたいタイプなんだそうです。理由は説明不要だよね?

 撮影は特に大きなトラブルもなく終了。彼女と別室で成果物の処理、つまり撮った写真の顔にモザイクをかけるか目線をいれることで、本人かどうかを分からなくする方法について話し合うと、「処理に関してはお任せ」という珍しい反応。しかし、写真が原因でトラブルが起こるのは嫌なので、彼女に念を押すべく「いいの? 顔が公表されると拙いこともあるよ」と言うと、「いや、実は前に付き合っていた彼氏が、私との(性交中)写真をネットに撒いちゃって……」という黒歴史的な展開に。

 まさかと思って「それ、児童ポルノ?」と訊くと、回答は「YES」。あー、久しぶりだな、毎日新聞の馬鹿記者が言ってる「魂が殺されちゃった人」と会ったのは。2年ぶりぐらいか? ちなみに、この魂が死んでいる人は元気パンパンでしたけどね。魂が死んでるはずなのにな。

 要するに、毎日新聞は、海外版だけじゃなくて本誌の方も嘘まみれだって事ですよ。早く潰れればいいのに。

「巨大娘」研究開始

 ノンフィクション製作で受けたダメージが深刻。脳の調子がちっとも戻りません。こりゃあ、あかんわいということで、リハビリを兼ねて以前から懸案だった『巨大娘』フェチの研究に入る。

 巨大娘というのは、要するに「サイズの大きな女性」の総称なんだけど、「女性が巨大化する」ケースと、「常識的な範囲で女性が高身長」というケース、そしてやや変則だが「男性が縮む」というケースに大別される。一番最後のケースは、シュリンカーという別名があり、別個のジャンルとして扱われる場合もあるようだ。

 で、それぞれの作品を通覧していったのだが、ほぼすべてに共通しているのが「ボディコミュニケーションの不全」、あるいは「ボディコミュニケーションの困難性」をテーマにしている点である。要するに、男女のサイズがあまりにも違いすぎるので、普通に手を繋いだり、ベタベタしたり、セックスをしたり……ということが不可能(あるいは難しい)なのだ。結果として、こうした世界における男女関係は、

1)巨大女性が一方的に男性を虐待

2)巨大女性が一方的に男性を受容

3)小さい男性が女性に見つからないようにして、こっそりあんなことやこんなことを……

というパターンのいずれかにならざるを得ない。また、こうしたシチュエーション、すなわちボディコミュニケーションの不全に対してリアリティを持てるかどうかが、このフェティシズムに共感できるかどうかの分水嶺となる。

 そこで、巨大娘をテーマにした作品の大多数は、ボディコミュニケーションは不可能なのに、会話「だけ」は可能だという構成になっている。つまり、正常な形での身体接触はできないが、言語でのやりとりは普通にできてしまうのである。また、前述の点が強調された作品は、作者の意図にかかわらず、コミカルな要素が強く含まれるようになる。これは当然で、サイズがあまりにも違う存在同士では、会話によるコミュニケーションもできないと考えるのが普通だからだ。

 日本の商業場で『巨大娘』を扱う際に難しいのは、実はこの点にある。つまり、日本の商業場における重要事は「内心の吐露」にあるのに、巨大娘ネタは内心の部分がかなりノーマル、かつ種類が3つもあるのだ。

 これは、商業場が成立している他の性嗜好と比較すると明白だ。たとえば、前回まで私が取り組んでいたミソジニーなどは、「美少女は俺のことを相手にしてくれない」や「女性は社会で得をしている」的な被害妄想や強迫観念がベースにあり、そのバリエーションと比較するとコアの構造は驚くほど単純である。

 また、性嗜好としてはミソジニーの類縁に当たる人形愛好も、生身の女性への潔癖性、神経症的な嫌悪感、もしくは会話も含めたコミュニケーションの不全が逆転し、模倣物であるはずの人形の価値が生身を超えるという、非常に分かりやすいコアがある。

 ところが、前述のように巨大娘ネタには、「ボディコミュニケーションの不全」という共通したシチュエーションがあるだけで、ミソジニーやピグマリオニズムが持っている心理的なコアが無い。無いというのは不正確で、正確には複数存在するのだが、これを一つにまとめて単純化することが難しい。

 敢えて統合するのであれば、やはりマゾヒズムということになるんだけど、そうするとこのネタのキモである、「精神的には正常だけれども、サイズの違いが原因で上手くボディコミュニケーションがとれない」というシチュエーションの意味性が薄まってしまう。マニアは当然そうしたグラデーションの濃淡には敏感だろうし……難しいね。もう少し、パターンを幾つか考えてみよう。

 個人的には、巨大と聞くと「娘」よりも「女」の方がしっくりくる。具体的には、パール兄弟の『鉄カブトの女』のPVとか、『ゾルタン星人』のラストなんかは私のイメージにかなり近い。ただ、調べていると、「巨大娘」と「巨女」はジャンルとしては違う(巨女の方がマゾヒズム性が強い)ことになってるみたいで、この辺の扱いには細心の注意が必要とされそうだ。

ノンフィクション終了。

 えー。ノンフィクション関連の仕事がようやく終了しました。自分で自分を褒めます。ぱちぱちぱち………もう、2度とやらねえよ!

 この日記を書くために、もう一度自分のブログを確認しているんですが、だいたい2ヶ月ほど作業に関わっていて、そのうちの3週間は仕事場からの帰宅が平均で午前8時という異常事態でした。要するに、3週間は休みもなく、毎日朝帰りってことですよ!

 このような緊急状態で、ブログが更新できるはずもなく、皆様へのレスも遅れていますが、勘弁して下さい。この場で土下座をしておきます。すまぬ。

 で、その間の私が何をやっていたのかというと、

1)起床後に国会図書館、もしくは古書街に行く。

2)国会図書館の司書さんに相談して、探している資料が載っているはずの書籍を検索してもらう。もしくは古書店の店主に相談。

3)国会図書館の場合は、該当資料があったらコピー。古書店の場合は購入。

4)仕事場に戻ったら、資料から必要な部分を抽出して文書を作成。

 という、地味で代わり映えしない作業でした。ぶっちゃけ、教育とか学習とかに一切の魅力を感じない私には、酷く苦痛な作業です。特に引っかかったのが、戦前のGNP(国民総生産)の数値を巡る問題で、実は戦前のGNPというのは、そのほとんどが後代の学者さん達が造った推計値なんですね。

 で、この推計値がまったく信用ならない。

 まあ、学問的な正確性という意味に於いて、経済学というのは、哲学、心理学、社会学と同じぐらい信用ならない(学者の大半は嘘つき)だから、覚悟はしておいたんですけど、それにしてもあんまりにも現実からかけ離れた数値には唖然呆然。しかも、こうした推計GNPの算出方法に関する疑惑を指摘している本そのものが、国会図書館を調べまくっても1,2冊しか見つからないというていたらく。

 結局、三面等価の法則という、経済学のイロハの理論から、実質国民総支出の統計数値でGNPを算出する方法を使って、自説の強化をやったんですけど、学士論文を書いてるならいざ知らず、学術界にもジャーナリズムにも興味がない私が、何でここまでやらなきゃあかんのかと思うと、商業上の理由であることは承知していても、やっぱり鬱になるわけですよ。

 で、この虚無感に追い打ちをかけたのが、別途で作成しているSM誌でした。要するに、ほとんど寝てない状態で、女の子を縛ったり、撮影の指示を出さないといけないんですね。もうね、心理的には最悪。たった1時間ぐらい前まで、「近衛文麿は反英米で……」とやっていたところから、「今日は低周波治療器を使ってプレイするから」なんてところにポジションチェンジしたら、誰だって「俺、何してるんだろう……」になりますよ。え? ならない?

 まあ、お陰様で、こういうお堅い本を作る上でのノウハウとか、お作法に関しては、少しだけ理解はできるようになりましたよ。少しだけね。でもね、人間には向き不向きってものがあるんですよ。100メートルを10秒以下で走れるかどうかは、練習だけでは決まらなくて、そもそもの素質が重要なのと一緒ですよ。私はポルノの世界であれば、100メートルを10秒以下で走れる自信がありますけど、ノンフィクションの世界じゃ無理だってことですね。無理無理。

 まったくもって、今まで「俺はノンフィクションに向いている」とか「俺なら、すごいノンフィクション本が書ける」なんて放言しなくて本当に良かった。まあ、児童ポルノ禁止法関連に関与するようになってから、規制への賛否を問わずジャーナリストがいかに知識が無くて、情報源にした人間の意見を鵜呑みにして、嘘ばかり世間にまき散らしているのかは、この目で見てるわけですから、そんなことを言うはずもないんですけどね。

 とりあえず、そういう次第で、今日からは通常営業に戻ります。ブログも再開しますし、当分はポルノとフィクションをメインにした仕事内容に徹します。

 最後になりますが、今回の作業で再確認した事に関しては、気が向いたらメモランダムを作成するかもしれません。まあ、一言で要約するのであれば、日本人は明治時代から肌の色で人を差別するのが好きだなってことですかね? 馬鹿馬鹿しい。同じ白人だって、アメリカ人とオーストラリア人は全然別物なのにね。だから、白い土人が日本ででかい面してんだよな。

丸山眞男を一本鞭で引っぱたきたい。

 ここ2週間は例のノンフィクションのせいで発狂。

 原因は明白で、もう仕事のネタばらしになっても構わないから言っちゃうけど、いわゆる「原田日記」、書籍としてのタイトルは『西園寺公と政局 全八巻・別巻一冊』(1988年刊)の精読をしているせいである。

 「原田日記」の口述者である原田熊雄に関しては、説明が面倒くさいのでパス。とりあえず、戦前政治史のうんちくを語っているヤツの口から、原田の名前が出てこない、もしくは資料として「原田日記」が出てこない場合は、釘付きバットで殴っていいぐらいにはメジャーな存在。

 しかし、この「原田日記」がいわくつきの代物で、西園寺公望の私設秘書だった原田が、西園寺の事績を昭和天皇に伝えるべく編纂した記録であって、公的に出版したり、天皇以外が読むことを前提としていない。これが注目されたのは、東京裁判に於いて木戸幸一の罪が問われた際に、検事が証拠物件として同書を採用してからだった。原田と木戸は近衛と共に戦前に親密な関係にあり、仮に原田が(東京裁判が行われていた時期に)存命していたら日記の提出を拒否していたことは確実で、悲劇的としか言いようのない事態だが、よりにもよって木戸は盟友だった原田を精神薄弱者と罵倒し、日記の信憑性を下げようとしたのだから、その非人間的な言動には唖然とする他はない。

 非人間的なヤツは他にもいて、この記録集を原田の遺志を無視する形で出版したのが岩波書店。これが『西園寺公〜』の初版ということになる。で、その際に校訂に参加したのが、丸山眞男や林茂といった東大閥の面々で……と悪口を書いていると、いずれ私のところに跳ね返ってくるので、これ以上はパスだな。

 とりあえず、今回は本業(?)の経営史以外のジャンルを囓ることで、知識の幅を増やすことができたと納得するしかないけど、仮に歴史上の人物であったとしても、相性が悪そうなヤツはいるわけで、同時代を生きた浅野総一郎小林一三といった、私が好きなメンツと較べると、どうも政治関係の連中はお高くとまっているというか、教条主義的というか、天下国家を論じている割には底が浅くて不快感が募る。

 で、さすがに真面目な仕事は精神的な疲労が激しいので、並行作業で作っているSM誌のために、一本鞭の練習で気分転換を図る。これも最近までまったく興味の無かったアイテムだったんだけど、某鞭職人の方から使い方を習い、現在では70%ぐらいの確率で2メートル先の5センチ程度の標的に命中させられるようになってきた。90%を超えたら実戦で使用しようっと。

 それにしても、歴史について勉強したり、政治活動に首を突っ込んだりするよりも、こっちの方が自分の性に合ってるねぇ。ああ、『原田日記』の出版に手を貸しやがった丸山眞男を、こいつで思いっきり引っぱたいてやりたい! このドイツかぶれが!

インフレータブルマスクの恐怖

 膝裏のアトピーが悪化。執筆中のノンフィクションのせいである。ぶっちゃけ、資料コピーとにらめっこしながら、どの記事が正しくて、どれが間違っているのかを精査していく作業は辛い。歴史系のノンフィクションを書く場合、一次資料とすべきものは公的に発刊されたもの、すなわち複数の人間が執筆、推敲に参加しているものに限られるのだが、これだけでは他誌との差別化が難しいから、どうしても当時の日記や秘録系の資料まで引っ張りだしたくなる……のだけれど、これが嘘まみれというか著者本人が自分の都合の良いようにフレームアップした代物ばかり(まあ、当然だわな)なので、もう一度公的な資料と付き合わせて時間や人間関係が正しいかを確認して……という作業をやっていく間に頭がおかしくなってくる。どうして狂ってくるのかというと、これだけ資料精査をやっても、後から間違いが発覚したり、新資料発掘によって定説が覆されることが分かっているからだ。

 今回は私よりも知識量が遥かに多い知人にアンカーマンを務めてもらって、何とかかんとか作業を成立させているもの、精神的にはもはや限界。そういう次第で、一時的にノンフィクション系の作業を中断し、いつものSM誌の製作に移行する。

 といっても、これまでほとんどのプレイをやってしまっている私としては、残っている選択肢の幅は狭い。というか、後に残っているのは命に関わるものばかりなので、「やっていいんだろうか?」という躊躇いがある。そこで、色々考えて私が選んだのは呼吸制御系。文字通り、呼吸を制御することによって窒息感を味わうというもので、失敗すると絶命する。

 最近では、2007年4月に読売新聞の政治記者が、このプレイをしながらオナニーをしている最中に死亡して、陰謀論者から「何者かに殺された」と騒がれたことで、かえってさらし者になっているんだけど、窒息オナニーの最中に死亡した例というのは結構あって、某大物ミュージシャンの怪死事件もこれが原因。とにかく、1人では絶対にやってはいけないし、適切な器具を使わないとすぐに死ぬという危険度マックスなプレイである。読売の新聞記者なんて、靴下などという涎を吸ったら気道を塞ぐことが確実な布地でプレイに及んでいるんだから、命知らずというか、お手軽にプレイするのは止めろよと言いたくなるよね。実際に死んでいるんだけど。

 今回、私がアイテムとしてチョイスしたのはインフレータブルマスク。直訳すると膨張仮面。まあ、リンク先の写真をみていただければ分かると思うけど(余談ですが、リンク先の英単語は間違ってます。正確にはInflatable latex maskですね)、目用の穴も鼻用の穴もなく、口の部分だけ呼吸が可能なようにチューブが出ているラバー製の全頭マスク。これがインフレータブルと言われるゆえんは、実はこのマスクは二重になっており、その隙間にポンプによって空気を注入し、タイヤのように膨らませられるから。

 これを被って空気を注入するとどうなるか? まず、目は完全に見えない。視界は0。鼻の穴も空いてないので、鼻から空気を吸えないし匂いも嗅げない。そして、空気が注入されると2つのマスクの間に圧縮された空気が入るので、耳も遠くなるし、顔面全体が均等に圧迫される。唯一、口だけが呼吸用のチューブで外部と繋がっているものの、ここをふさがれると、あっという間に窒息死する。

 で、こんな危ない代物をいきなり実戦で使えるはずもないので、某所で知人を脇において自分自身に人体実験。まず、インフレータブルマスクを被るのに一苦労。呼吸をコントロールするために、ゴム製のマスクは密着度が高い設計で、なかなか頭に入らない。しかし、何とか無理矢理入り口を広げ、マスクを被れたと思った瞬間に窒息。気道を確保するためのチューブが口に届かなかったからだ。

 死ぬ! マジで死ぬよ!

 悶絶しながら、どうにかチューブを口にくわえることができたものの、ゴムが目にはりついているので、何も見ることができない。鼻の穴にもゴムが張り付いているから、匂いも嗅げない。しかも、知人がポンプで空気を注入した途端に、外部の音が極端に聞こえづらくなる。完全ではないにしても、感覚遮断状態に限りなく近い。

 結局、私がこの状態で耐えられたのは15分前後。感覚遮断状態に耐えられなかったのだ。しかし、猛者になるとこの状態でプールに浮かんで重力まで遮断して、1時間は余裕で保つらしい。マニアは恐ろしい……。これは普通の人がやったら確実に脳が壊れるわい。

 うーん。やっぱり危険だよなぁ。やっていいんだろうか?(駄目です)

Appendix

プロフィール

Author:toriyamazine
東京都出身。
高校在学中にライターとしてデビュー。
以降は編集者・ライター・ゲームディレクター・実写アダルトDVDの監督、そして作家を兼任。
仕事はSMポルノ関係全般で、小説、ゲーム、実写etc、アニメーションを除くすべてのポルノ作品を平行して制作。年間発表数は約6作品前後がコンスタント。
一般作に関しては、別名義、もしくはアンカーマンとしてのみ参加中。

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